ウェルフ



こども虐待ドキュメンタリー 凍りついた瞳
ささやななえ/原作 椎名篤子
1995.11.29初版 \1300

続・凍りついた瞳
ささやななえ/原作 椎名篤子
1996.11.25初版 \930

凍りついた瞳が見つめるもの
「こども虐待を考える会」主催 椎名篤子・編
1995.11.29初版 \1190

すべて集英社(YOU特別編集)

 児童虐待という言葉をご存知だろうか?家庭のなかで、児童が親や兄弟から暴力や性的な交渉を強要される問題を指して使われる用語である。一般的には、祖父母、親、兄や姉から孫、子、弟妹に対して暴力が振るわれる。家庭という閉じられた空間の中で虐待を受ける子供たちには逃げ場がない。肉体的な暴力に加えて、”誰にも愛されない”という精神的な暴力を受けた子供たちは、成長してもその傷を癒すことができず、みずからも虐待の加害者として新しい被害者をつくりだしていく。

両足のくるぶしからはぽっかりと白い骨が露出してみえ――
骨の周辺の筋肉や脂肪は壊死して血膿がべったりと固まっていた
なぜ――
なんの理由でこの少女は運ばれてきたんだ? 
当直医には考えるゆとりがなくなっていた
少女の左大たい部から腰にかけてと左上腕部全体には寝たきり老人にできるような床ずれがひろがっていた。それが化膿してただれ一部は古く治癒してかさぶたになり、一部はまだ出血して触れただけでも激しく痛がった
こんな子供をみるのは初めてだった。何かをしなければならないと思ったが、いったい何から先に処理すべきか、それが適切かどうかの判断が彼にはできなくなってしまっていた
第6話/浮気の代償より

 虐待の連鎖と呼ばれるこの現象は、読むものに無力感とやるせなさだけを残す。取り上げられる事例の過半は問題が解決されず、家族は姿を消し、あるいは病院、福祉事務所や児童相談所の手の届かないところに行ってしまう。関係者にやるせない思いを残したまま、事実は事実としてそこに放置される。

 ドキュメンタリーは、ありのままの姿を切り取り読者に提出する。ときに事実が小説を上回るのは、作者がそれと気づかずにかけている自己への規制を、事実が軽々とつき破ってしまうからだ。ドキュメンタリーのすべてが小説ほどにドラマティックではないが、本書はその例外に属していることは間違いない。

[1999.04.17]


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