’99年断続雑記
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新米ワーカー日記


八月上旬


1999.08.09

仕事を戦略的に組み立てるってのをやってないな、と。

もちろん福祉課というのは窓口でのお客さん相手の仕事が多いし、家庭訪問もどちらかといえば受け身の業務なのではある。だいたい、人相手の商売であるし、何とかなるような人は生活保護世帯にはならないっていうのもひとつの真実であることは間違いないのである。日々の業務量が少ないわけでもないしね。

といったことは全部言い訳に過ぎんと思う。ほんとにやる気があるんなら改善せねばならん点はようけあるし、そのための努力は惜しんだらあかんはず。それができないのは単に自分の能力不足。

ただ、その前に事務処理をもっときちんとやれるようにならなきゃ、あかんのやけどね。

1999.08.08

土曜、日曜と友人が遊びに来る。フロム、名古屋。おニューなパソコンが欲しいとのことで、秋葉原に行く。今のマシンがだめな訳じゃないが、SHARPの液晶が奇麗ですごく欲しくなる。買えないけどさ。

ついでに、探していた「のら」(全3巻、入江紀子さんのコミックです)を購入。帰りの電車で泣きそうになる。

明日から、また仕事だ。

1999.08.07 あるキャッチセールス

「はい、もしもし」

「もしもし、おおやまさんのお宅でしょうか」
もろキャッチセールスの声やっちゅうねん。

「...はい」(不機嫌そうに)

「のりひろさんでいらっしゃいますか」
「はい」

「こちらは○×コーポレーションと申しますが、先日ご連絡差し上げたキャンペーンの件ですが、のりひろさんはいらっしゃらなかったのですが、いかがされたのでしょうか」
(新手やな。引け目を感じさせようっちゅう訳か)「知らないですけど」

「そうですか。失礼ですが、のりひろさんは20代の男性の方でしょうか」
「はい」

「失礼ですが、会社員の方ですか」
「違います」(公務員やし)

「学生さんでしょうか」
「いいえ、違います」(公務員やからな)

(けげんそうに)「ええと...お仕事されてないんですか」
「やってますけど」(だから、公務員やっちゅうねん)

「...もしかして今お仕事中ですか」
「ええ」(不機嫌そうに)
(おびえた感じで)「お忙しいところ、ごめんなさい。それじゃ」

がちゃん。

わたしゃ嘘はいってないぞ。掃除してたもんね。
とはいえ、まだまだ断り方がぬるいような気がするぞ>自分。

今度は、電波系もしくは宗教系で行ってみようか。めざすは逆キャッチセールス。
「あなたも神の言葉を聞いて、幸福の大地に行きましょう」なんて。

1999.08.06

いまひとつ仕事が物足りないのである。こんな風に書いてしまうと「そんなに暇なんか!」といわれてしまいそうだが、別に仕事が暇な訳ではない。就業時間中はそれなりに忙しいし、残業もある。福祉課というのは庁舎内でもっとも人気のない部署のひとつで、だからそれに見合うくらい仕事がしんどいことは間違いないのだ。

ただ、非常に無礼な言い方をしてしまえば、大学院時代のほうが忙しかったし、しんどかった。充実もしていた。「仕事ってこんなもんなん?こんなに楽でいいん?」そう思ってしまう気持ちもあるのだ。大変だ大変だといわれてる福祉課でこの程度なら、他の部署はどんだけ暇なんや。こういう気持ちを持つのが正しいのかは分らないし、申し訳ない気持ちもするんだけど、正直、そう思う。もっとシビアに、きつい仕事でもええんちゃうん?

大学院時代の自分というのは、不安定で、何処の馬の骨とも知らなくて、ただ「俺はやるぜ!」という気力だけは売るほどあった。つらつら考えるに、今の仕事は確かにしんどいけど、責任はないし、何か新しいものを生み出さなければならないプレッシャーもない。職場の雰囲気がそんな感じなのだ。よくいえば、ほのぼの。悪く言えば、与えられた仕事をきっちりこなせばよい、みたいな。

そういうんじゃなくて、もっともっと何か新しいものを作るための仕掛けを考えたい。自分の適性ってのはそういうところにあるんだよ。そうだろ。違うか?そう叫んでいる自分がいる。もっとしんどくてもええんちゃうん?お前はもっとできるんちゃうんか?

じゃあ、何ができるんだ。何がしたいんだ。え?お前はよ。

1999.08.05

毎月5日は、もっとも忙しい日のひとつ。朝から夕方まで、こまねずみのように働く。ストレスもピーク。帰ってきてビールを飲む。うまい。

時に、「自分を中心に世界がまわっている人」は幸せなんだろうか。うまく行かなければ癇癪を起こし、それで物事がうまくいくと思っている人。自分の都合のいいように人が動くのが当然だと思っている人。自分自身のことを棚に上げて、ひたすら他人を責める人。

普通に考えれば、みんなから嫌われて生き難いだろうに...と思うのだが。そもそもそのことに気づかないというのは、ある意味では幸せなのかなとも思う。よくわからない。

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1999.08.04

暑い以外は取りたてて何もない一日。残業もなし。

1999.08.03

「ひとを嫌いになることができる才能」というのも、間違いなくひとつの才能なのである、と思う(弱気)。たしかに、ネガティブ要素が強い才能ではあるのだけど、健全な批判精神をもった、「あんたなんか嫌い」は正しい。魅力的、といっていいほどに。

どちらかというと、「自分が悪いんじゃないか。なにかいけないことをしてしまったんじゃないか」と思ってしまうのは、やっぱり健全ではない。もちろん、健全がいいのかどうかはさておき、精神衛生上よくない。なにより、魅力的じゃないよな。

嫌いなものを嫌いといえないために、いつのまにか自分がなにを嫌いなのかもわからなくなってしまった。ような気がする。あまり考えすぎても変わるわけじゃないので、しょうがないんだけどさ。

1999.08.02

いきなり残業。帰ってきて、疲れて寝てしまう。2時間ほど寝て、起きる。差込みのように寂しさが襲う。こういうのが一番辛い。あう。

隅田川の花火の話なんかに、心を馳せる。人事とは思えなくなる。こういう時は、忙しく仕事をしてるほうがいい。小人閑居して不善をなす、というやつや。

1999.08.01

朝一で、花火大会片づけのボランティアに行く。けっきょく自分では見なかった。帰ってきて、疲れて昼寝。起きて、スーパーに買い物に行ったら、今の時間。

今日は家でゆっくりしよう。


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