’99年断続雑記
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新米ワーカー日記


七月下旬

1999.07.31

「となりの山田くん」を見に行く。予想はしていたが、ジプリの作品としてはいまひとつ。ついでに、会場の客もいまひとつ。マナーが悪いったらありゃしない。エンディングロールの途中で抜け出すのは、いくらなんでも迷惑だと思うんだがの。

まあ、そういうことするのは、たいていめったに映画を見なさそうなおばちゃんやねんけど。偏見じゃないぞ、これは。中野の武蔵野ホールや渋谷単館上映の作品でそんなことをする奴はいねえもんよ。

夜は、ひさしぶりに大学時代の友人と飲む。
何年か前に貸したらしい1万円が戻ってきた。嬉しい。

1999.07.30

予定していた友人の訪問が突然キャンセルになった。楽しみにしていたので、ちょっとへこむ。土日の予定がいきなり空いてしまったので、久しぶりに一人で映画でも見に行こうかと思う。お金ないんだけどね。

ふと思ったんだけど、電話というのは不安を伝える道具ではないかなと。もちろん喜びを伝える機能もあるんだけど、面と向かってはなかなか言えないような愚痴も電話なら言えてしまったり。そういうこと、ない?

1999.07.29

ここしばらくの不調の原因を探ってみると、どうも「自分の正しさを信じられない」という部分にストレスを感じているのではないか、と思うようになった。おおげさに言い換えれば、自分が生きていることに価値を見出せなくなってる。もっと、身近にいえば、基本的に自分は「何か新しい価値をつくりだしたい。それを世に問いたい」という気持ちがある一方で、そのために何にもできていない今の状況が苦しいという感じ。

何かやらなきゃいけないという、切迫感はあるのだけど、多くの時間を割いている職場ではなかなかそれをする余裕がない。そういう雰囲気もない。だから、切り捨てた進路選択のほうを追ってみたり、想像してみたり。後ろ向きなり。

前向きに考えたいねえ。

1999.07.28

夏バテなのか、あんまり食べ物が欲しくない。食べても胃にもたれる。体力が落ちる...ちゅう悪循環になりつつある。やな感じ。

仕事。
最近、行政裁量というものの意味がわかってきた。文面通りに解釈するのでも、やり方によってぜんぜん結果が違ってくる。文字どおり、生かすも殺すもワーカー次第。そうなん?

1999.07.27

職場の飲み会。適度に荒れる。ストレスは溜まる。
でも、帰りがけ、ごはんをおごってもらった。食べられなかったけど、嬉しかった。

1999.07.24

日曜日に散髪に行った。思いっきり短髪。久しぶりだ。ぼうずまではいかないけど、今までのわたしを知る人からすれば、「お前、どうしたんや」というくらいの頭。案の定、職場の人からは賛否両論。ひそかにほくそえむ。やな性格。

1999.07.23

更新のやり方を変えてみた。いちいちファイルをつくるのが面倒だし、読むときも大変だから。なるべくシンプルに。更新が苦痛にならないように。

どうも、季節外れの五月病みたいである。仕事にもだいぶ慣れてきて、たいていのことには驚かなくなって、でも、何か足りないような気がする。不満らしい不満もない。不安らしい不安もない。仕事自体は大変だったりするのだけど、それでも拘束時間はそれほど多くないから、気分転換も適度にできる。だから、精神的にテンパッてる訳ではない。ただ、何かが足りない気がするのだ。

じゃあ、何が欲しいのかと言われるとどうも判然としない。友達や恋人が欲しくない訳じゃないけど、どうも本当にそれが欲しいかというと疑問。もちろん、寂しさはあるんだけど、う〜ん、寂しいのかな。やっぱり。...違うな、やっぱり。

どうも自分は昔から、「自分なんか居なくなってしまえばいい」と思っているところがあって、今もそれはぜんぜん変わらない。精神的に追いつめられてるときなんかは、包丁を持って、「ああ、これで手首切ったら死ねるのかしらん」などとやったりするのだけど、最近はそういうこともない。精神的には追い込まれてない。楽ちんな毎日だ。それがどうもいかんらしい。居心地が悪いのだ。

認めたくはないけれど、どうも自分はちょっぴり不幸なくらいのほうが、幸せを感じられるみたいな気がする。周りにはそれを気取られないように、家に帰ってから思いっきり泣いたり、そういう風なある種切り詰めた日常のほうが安心するらしい。

認めたくはないんだけどね。最近、あんまり泣いてない。いや、ぐじぐじ泣くことはあるんだけど、昔みたいに号泣というか、「こればっかりは誰にも見せられん、見られたら死ぬ。でも見られたい気もするんだよね」的な、自分自身どうなっちゃうかわからないくらいの泣き方が...できなくなってる。というか、不幸じゃないんですよね。今の自分。人から愛されないのにはもう慣れたし、そのくらいじゃ不幸は感じない。寂しければ、適度な付合いができるくらいの友達もいるし、これもそんなに困っていない。第一、職場で日々見ている人に比べてしまうと、どうしても「わたしって不幸」とはいえなくなってしまうのだ。環境的にはたぶん、幸せなんだよね。そう思ってしまえるのだ。困ったことに。

ただまあ、まだ電車を待っているときなんかに、ふと飛び込みたくなるような気持ちはまだまだあるんだけどね。たしかに。


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